安楽の門
5日間の坐禅行(接心会)をしてきた。
今回で3回目。
私は仏教徒ではないが、迷いをハッキリさせたく参禅している。
一週間お寺に泊まり込み、朝5時20分から21時まで坐禅、お経の拝読、作務などの行を行う。
三度の食事、作務、少しの休憩以外はほとんど座っている。
本堂でお経を唱える時は正座。
しかも12月は8日はお釈迦様が悟りを開いた日として特別な日でもあり、7日の夜は24時まで坐禅をする。
寒い坐禅堂でずっと座っていると
脚はしびれ、肩はコリ、便秘になり
「これは苦行でしょう( ;∀;)」と思いたくなるが、
お釈迦様はありとあらゆる苦行の後に菩提樹の下に座り、
ただ何もせずに座ることで悟りを開かれた。
「坐禅は安楽の法門」と言われる。
実際経典の中に
「坐禅は習禅にはあらず。ただこれ安楽の法門なり。」
という言葉がある。
これは安楽への道なのだ・・・と。
ううーん、わからん
ずっとわからなかった・・・
坐禅中、身体の痛みに注意が行き、
「ああ、もうやめたい!なんでこんなことやってるんだよ~」
と、何度思ったことだろう。
それでも時々スッと何もなくなる瞬間があるのだが・・・
何もしないでいると何かがあるのか?
そして
ああ、そうか。
ほんとうにそうなんだ。
ということが帰路の車の運転中、
落ち笑った。
この10年来、
透視リーディングやスティルネスサウンドで没頭しているとき以外に
時々襲い掛かる得も言われぬ不安、苦悩
様々な迷い
いろいろ方法をとってきて楽になってはいたが
迷いがあった
人はなぜ苦しむのか・・・
なぜセッション時没頭している時には起こらず
それ以外の時には起きるのか・・・
以前はなかった迷いがなぜ起きてきたのか・・・
普段の私と没頭したカラッポの状態の時と二つの状態があることに、
一致していないことに悩んでいた
ああ、これでよかった
ゲートが開いた
安楽の門 合掌